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2010年11月16日 火曜日

トリノ五輪観戦記&プロ野球

ショートトラックレース会場

2月21日中部国際空港からフランクフルトを経由してミラノへ飛び立ちました。目的地はトリノでしたが、トリノ市内のホテルはスポンサー関係者で占拠さ れ、やむを得ずミラノ市内のホテルに宿泊して会場まで往復6時間近くかけて通うことになりました。

今回の目的は、ショートトラックスケート日本代表である寺尾悟選手のメディカルトレーナーとして彼のおそらく最後になるであろう五輪のレースの観戦と応援です。


現在、私はフィギアスケートジュニア世界チャンピオンになった小塚崇彦選手を指導しているため、フィギアスケートの試合を生で観戦する必要もありました。

アテネ五輪では自分のチームの選手の支援、トリノ五輪は自分が指導する選手の応援です。

ミラノ市内はあいにく毎日、雨が降り続いていました。

私も日本から風邪を引いていて寒さと疲労で風邪の状態がさらに悪化して大変苦しい旅になりました。


到着翌日の22日、現地時間午後19時半からショートトラック男子500m予選が行われました。

無難に寺尾選手は予選突破。長野五輪この種目金メダリストの西谷選手は予選敗退でした。

ショートトラックレース会場はフィギアスケートの会場でもありとてもキレイで明るく独特な雰囲気でした。 世界中の人が応援に来ているため多くの異なる言語が飛び交い、応援もすさまじいものでした。 地元イタリアの選手も出場するため会場は予選から満員状態。

実は、このチケットが65000円とプレミアムが付いて泣きたくなるほどの高額で手に入れたものです。女子フィギアのフリー演技決勝では、15万円です!こんな贅沢なショーは無いですね。

レース終了後は、ユーロスターに乗ってミラノのホテルまで帰りました。 イタリアは治安が悪く、おまけにイタリア人は想像を絶する不親切。 道を聞いても知らんぷり、お店でいろいろ尋ねようとしても無視。 態度も大きくサービス精神ゼロ。 とても不快な思いを何度もしました。日本では考えられないことです。レストランは夜8時くらいからしかオープンしないようで夕方軽食を取りたくても取るこ ともできず、残飯のようなサンドイッチもどきを食べる毎日でした。街には自動販売機すら無いのです。 日本の素晴らしさをあらためて実感しました。


 23日は女子フィギア決勝。フリーの演技でメダルが決まります。ショートプログラムでは日本人3人とも入賞圏内。

荒川選手2位、村主選手4位、安藤選手8位。荒川選手、村主選手のいずれかはメダル獲得の期待が膨らみました。

生まれて初めてフィギアスケートの演技を生で見たわけですが、その迫力に圧倒されました。

テレビで見るフィギアスケートの演技とこれほどまでに違うのかと驚きました。

6人ずつ1組になり順次演技を行っていくわけですが、安藤美姫選手がウォームアップに登場したときは明らかに身体のキレが無く、転倒を繰り返して4回転ができる状態でないのは素人目からもはっきりしていました。


競技後の結果を祈るように見守る安藤美姫選手 安藤美姫選手の演技が始まろうとする前は、日本人応援団から大きな声援が沸き起こりましたが、演技が始まるといきなりため息に代わりました。 演技開始早々、4回転を試みた安藤選手は転倒。 これでメダルの夢は完全になくなりました。 その後の演技も精彩を欠きさらに順位を落として15位。 入賞圏内にいた安藤選手としてはSPの結果時点でメダル獲得は不可能でしたので日本代表選手として入賞を目指す演技をするべきだと思いました。

不安定な状態でより不安定な要素がある4回転をいちかばちかで行うことは勇気ではなく無謀なような気がします。 期待し応援していただけにすこしがっかりしました。

 

最終組では荒川静香選手がパーフェクトの演技を見せ、スタンドの観衆からはスタンディングオベーション。 ライバルのサーシャコーエン、スルツカヤが転倒する中、本当に安定した迫力ある演技でした。 村主選手もミスが無い素晴らしい演技でしたが点数が伸びず4位。 最後の演技者であるスルツカヤの演技の点数が出た瞬間、荒川選手の金メダルが確定しました。

荒川静香選手 トリノ五輪日本唯一のメダルで金メダル獲得 荒川静香選手のご両親

歴史的瞬間です。トリノ五輪唯一のメダル。なんと金メダル獲得。

荒川選手のご両親のすぐ横の席に居た私たちの近くに世界中の報道陣や関係者が殺到しました。 ご両親も涙を流して喜び娘の栄光を祝福していた姿が今もはっきり目に映ります。

すぐに、表彰式が始まり、異国の地で、君が代を聞くことの機会に恵まれました。

アテネでも3度の君が代を聞いたので、報道関係者、五輪関係者以外でアテネ、トリノ両五輪の君が代を現地で聞いた日本人は私だけではないでしょうか。少しだけ自慢できることです。

この感激を胸に、必ず自分が指導した選手がオリンピックで日の丸を揚げる場に立ち会うことを心に固く誓いました。


寺尾悟選手いざ出陣! 25日、ショートトラック男子500M決勝の日です。

この日、1日で準々決勝、準決勝、決勝の3つのレースが行われます。

準々決勝はすでに金メダルを2つも獲得しているダントツで世界ナンバーワンの実力を誇る韓国のアン選手が同じ組でした。 この組2位に入った寺尾選手は準決勝に進みました。 しかし、準決勝は世界ランキング上位の選手が2名もいる厳しい組でした。

後半わずかに抜かれて3位。準決勝敗退で、B決勝に回りました。

失格者が出ていたので国際大会では珍しいイタリア選手と2人だけで順位決定戦。

最初から前に出て圧倒的勝利で6位入賞。 何と五輪4大会連続入賞の歴史的快挙でした。


さかえクリニックロゴ入りの寺尾悟選手の練習用スーツ 世界選手権、ワールドカップともに金メダルを獲得している寺尾選手にとって五輪のメダル獲得は悲願でしたが世界の壁が彼の願いを阻みました。30歳という世界でも最高齢のショートトラック選手です。 次のバンクーバー五輪を目指そうよと私が声をかけると顔が引きつっていました。

多くを犠牲にして死に物狂いで12年以上、世界のトップと闘ってきた寺尾選手に本心は、お疲れ様でしたと言ってあげたかったのです。

オリンピックは多くのドラマを汗と涙の感動で語ることができる場です。

 


 荒川選手が金メダルを獲得したことでフィギアスケートがこれまで以上に大きく注目を集めるようになりました。

私が、指導する中で男子フィギアスケート バンクーバー五輪の星と今から注目を集める選手がいます。

小塚崇彦選手 中京大中京高校2年生。2005年ジュニア4冠。 世界ジュニアグランプリファイナル日本人史上初の世界チャンピオンです。

私が指導を依頼され新しい指導法と身体能力改造が見事成功して短期間で世界のトップに躍り出ることができました。

さかえクリニックロゴ入りの寺尾悟選手の練習用スーツ 2006年3月12日、フィギア世界Jrで金メダル獲得、今季は浅田真央選手すら銀メダルですから快挙と言えます。ジュニアの世界チャンピオン小塚選手は、ここ数ヶ月で大きく身体能力が向上しました。

動的トレーニングではない静的トレーニング。副交感神経ライン強化トレーニングが功を奏しました。 期待の新星は、バンクーバー五輪では必ずメダル候補になるはずです。

彼が世界の頂点に立つ夢を支えていける機会に恵まれ光栄に思います。

 

 

冬も終わりプロ野球シーズンが始まりました。

今年も昨年のセリーグ覇者 阪神タイガースの話題が多いようです。

3年前から阪神タイガースの選手主力選手たちのトレーニング指導、ケアを行ってきました。

2003年阪神タイガース優勝の立役者で4番バッター 桧山進次郎選手もその一人です。

今年37歳、オープン戦絶好調。出番が与えられれば大活躍することは間違いありません。

プロ野球選手の平均引退年齢が26歳であることを考えると桧山選手の選手寿命がいかに長いかがわかります。 今季も桧山選手のメディカルトレーナーとして彼の活躍を支えます。


マウンドに立つ藤田太陽選手 私が期待する選手で潜在能力は以前私がメディカルトレーナーを務めた ドラゴンズの川上憲伸投手以上であるタイガース 藤田太陽投手がいます。

2000年ドラフト1位。コンチネンタルカップで最優秀防御率賞を獲得してアマチュア世界ナンバーワンとして鳴り物入りでタイガース入団するも肘の故障 で3年間をリハビリに費やしました。2005年はトレーニング法改善で728日ぶりの勝利。復活を今季にかけます。太陽投手の最終目標はメジャーリーグ。 私が指導する身体能力向上トレーニングで、夢を掴もうとしています。

昨年12月にはハワイでの自主トレを一緒に行いました。 動的なトレーニングではなく自律神経機能を向上させる静的トレーニング法を導入しました。筋肉や重要な人体の臓器を支配する神経システムを強化する新しいトレーニングです。

橋本淳子氏同行の藤田太陽選手ハワイ自主トレにて ピラティスの日本でもトップ指導者であり37歳現役のフィットネス日本チャンピオン 橋本淳子氏を同行して自主トレを行いました。大きな成果が出たと考えます。


美容外科医の私が、オリンピックでメダル獲得を支援したり、プロ野球選手のメジャーリーグ挑戦を支援したり、F1を目指すレーシングドライバーを育成する。 まさしくアンチエイジング医療の成果です。

私の夢は、メディカルトレーナー養成アカデミーの設立、トップアスリートやセレブのためのプライベートジムを全国に設立することです。スポーツ関連法人 を設立して体育塾やかけっこ塾、格闘技塾などを企画し青少年育成に努めていきたいと考えます。

これは多くの経済的に恵まれないトップアスリートが現役引退後の受け皿を作り青少年育成のためスポーツを通じた社会貢献をしたいという思いからです。

私のアスリート支援、指導などスポーツに対する活動の全てはボランティアで行っております。

世の中でお金だけでない夢を追い社会がスポーツで変わっていく姿を見てみたいと常に考えています。

新しいスポーツビジネスをアンチエイジングシステム導入によって起業することは、我々医師にとって大切な仕事でもあります。 多くの専門医や企業が理解を示し、私たちと一緒に夢を実現する手を貸していただければ幸いです。

 

必ず私どもの活動が大きくスポーツ界を変えていくことになるでしょう。

2006.3

 



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